Mar 17, 2010
平方先生のお別れ会
今月までは諏訪中のグリーンボラティアも、月1回の勉強会が中心。
今日はボランティアの皆さんからも、勿論患者さん、そのご家族からも絶大な人気のある緩和ケア・血液内科の平方 眞先生の講演です。そしてのその後は平方先生のお別れ会です。
平方先生は、16年間諏訪中央病院に在籍され、諏訪中央病院の緩和ケア開設からかかわり、緩和ケア病棟、訪問緩和ケア、血液内科を身を粉にして働き続け、鎌田先生の影で支えた続けた先生です。私の母を緩和ケア病棟で看取ってくださり、それからも娘のお世話になった保育園の先生も、そしてお仲人さんも、みんな人生の最後を平方先生に託して、穏やかに終末を迎えました。そして病院の庭に関心を持って下さり、ボランティアのイベントにも必ず顔を出してくださる先生でした。
ですから昨年4月に長野市の愛和病院に副院長として移られるときも、ボランティアのみんなはガックリとしたのですが、それからもご自分の患者さんのために、週一回水曜日に、100km離れた長野市から諏訪中に通い外来を続けて来られました。でもこの度病院の方針により、今月いっぱいでその外来も終わりです。85名いる患者さんの多くは100km離れている先生の病院へと行けない方がほとんどです。血液内科という特殊な科ですから、患者さんがどれだけ困るでしょう。患者さんが困ることは、平方先生の本意ではありませんが、若手を育てたいという病院の方針なのですから仕方ありません。最後の外来で泣いている患者さんも沢山居るようです。
今日の勉強会にも今のボランティアの人だけでなく、昔お世話になった方など50名も集まり、先生もビックリしていました。そしてお忙しい中、今日の私たちへの講演のためにも沢山の資料を用意して下ったのも平方先生ならです。
私の心にもぽっかりと穴が空いています。でも、今日のお話を聞いて、先生はいい流れに乗って愛和病院へ行かれたのだと信じたいです。そしてこれから長野に留まらずに全国に緩和ケアの重要性、緩和ケアのノウハウ、緩和ケアの連携を広めてくださる先生だと信じています。癌にかかわる医者は緩和ケアを取得しなければならないと法律が決めた今も、充分な緩和ケアを受けられずに、苦しみながら終末を迎えた話を良く耳にします。
全国どこの病院にかかっても、平方先生が実践しているような緩和ケアが受けられるようになるのが理想です。
大きく羽ばたく先生を拍手でお送りしました。
ボランティアの帰りに、上社の木落坂を通りかかりました。こちらは坂が整備され、立派な「御柱追いかけ綱固定柱」が立っており、その向こうにまだ真っ白な北アルプスが見えました。追いかけ綱固定柱とは、木落坂に向かってどんどん御柱が前に出たときに、心の準備が無く、いきなり落ちたら大変です。ですからここに追いかけ綱を固定しておき落ちないように引っ張っておくのです。そしていよ いよ落とせる体勢になったときに合図が出て、追いかけ綱を斧で一気に切って落とすのです。これも一気に切れないと御柱がスムーズに落ちずにけが人が出たり大変です。下社のこの場面です。木落坂を斜度27度の木落し坂を上から眺めると、うっすらと草が生えていてゲレンデのようです。ちょっと整備され過ぎにも感じます。
JRの線路の向こうに高い桟敷席が急ピッチで作られています。その右側には上川がゆったりとカーブを描きながら流れています。川越しをするのはこの川ではありません。この木落し坂を下りた御柱は、JRの狭いガードをくぐり、その日の内に宮川を川越しして、御柱屋敷までたどり着きます。昔はここから宮川やお宮が見渡せたそうですが、今は住宅でどこだかよく分かりません。
桟敷席 木落し坂と上川
後ろからは蓼科山が木落し坂を見守っているようです。
まだ綱置場まで運ばれていない上社の御柱ですが、21日にそこまで運ばれてきて、31日に綱置場で引き綱を付ける穴とか、メドテコの取り付け穴を開け、皮をむき体裁を調える作業をするそうです。そして4月2日、3日に分けて御柱は出発します。
♪御小屋山の樅の木は 里へ下りて神になる♪なるまでは大変な作業です。
もっと詳しい曳行・木落とし・建て御柱の日程と2010年御柱紀行が続きます
御柱祭公式HP