October 2011
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Oct 30, 2011
Oct 28, 2011
紅葉見ごろの八ヶ岳を満喫
今日は女性二人旅の方のガイドです。紅葉の時期と快晴に恵まれて良かったですね.
山々の景色が素晴らしいまきば公園
清泉寮 やっぱりソフトクリームかな。
紅葉まっ盛りの八ヶ岳倶楽部
先日二人お世話になりましたGです。
その節は大変お世話になりました。美味しいお料理を舌鼓できまた
親切な対応していただき感謝感激しております。
ガイドをしていただいた場所も素敵なところで楽しい時間を過ごすことができました。
また柳生様ご夫婦にもお会いできお話もできたこと嬉しく思います。
今度は季節を変えてお邪魔したいと思います。
色々と有り難うございました。
@早速にメールありがとうございます。良い時期、良いお天気に恵まれましたね。八ヶ岳を楽しんでいただけて、とても嬉しいです。 季節が違うと同じ場所も景色が変わりますし、まだまだ素敵な他の場所も沢山あります。季節、お天気にあった場所をガイドできるとお思います。またお目にかかれる日を楽しみにしております。
Oct 26, 2011
思い出から現実へ
思い出に浸った横浜ですが、ここからは現実に戻って、新しい町みなとみらいへ。赤煉瓦に車を停めて、「カップヌードルミュージアム」を訪問。透明なバッグにカップヌードルが入ったものをみんな肩にかけて出てきますが、あれがどうもここで作ることができる「世界でひとつだけのオリジナルカップヌードル」の様です。でもこれは朝の内に整理券をもらい、決められた時間にファクトリーに入って作るようで、今日はもうその整理券はありません。それでは中のアトラク
ションを見学することに。ヒストリーキューブでは、初代のチキンラーメンからのパッケージが3000点以上展示されていますが、余りインスタントラーメンを食べない私は、この中で知っているものは僅かです。でもこんなにあるなんて驚き桃の木山椒の木です。その他には映像や写真でインスタントラーメン発明の父・安藤百福さんの歴史を展示したり、遊び心溢れる、安藤百福さんのクリエイ
ティブな発想を知ることができる、6つのボックスがあります。そして最後は「麺ロード」で色々な国の麺を味わうことができます。ハーフサイズなので、いくつかのものを同時に味わうことができるのが嬉しいです。今日はマレーシアのラクサと中国の牛肉拉麺を食べて見ましたがどちらも美味しかったです。
マレーシア 中国
夕暮れ迫る外に出てみれば霧笛が響き、客船「飛鳥」が横浜港から神戸に向けて出航です。これは就航20周年記念飛鳥のアニバーサリークルーズだそうで、28日飛鳥が生まれた長崎造船所を訪れるそうです。一度は乗ってみたい客船です。
楽しかったMY Hometownとも、またしばしお別れです。
Oct 26, 2011
MY Hometown
昨夜の興奮が冷めやらないままホテルで目覚めたら、今日も秋の青空が広がっています。
今日は3カ所のお墓参りをする予定ですが、そのついでに「MY Hometown」をゆっくり歩きたいと思います。
お墓参りの道すがら、磯子の主人の幼なじみの家に寄ったり、私の友人のお店を訪ねたり、主人の磯子小学校、そして私の元街小学校近辺を娘と歩いたり、今も本籍地としている場所を教えたり・・・本当に思い出の道巡りでした。
市川家、私の実家の青柳家、祖父母のお墓、そのどこからもランドマークタワーやベイブリッジ、 インターコンチネンタル ホテルなどが良く見えます。どちらも昔からある古い墓地なのですが、高台にあり、大きな建物に遮られることなく見える新しい横浜の象徴をご先祖様はどう見ているでしょう。私の父は早くに亡くなったので、横浜の移り変わりにお墓の陰から目を丸くして見ていることでしょう。
磯子では磯子小学校から浜マーケットへと歩き、私はなんと浜マーケットで可愛い小玉葱・ペコロスを12kgも買って二人にも持たせたのブーイング。でも八ヶ岳ではなかなかペコロスはこんなに沢山は無いのだから我慢してね。
そしてお腹も減ってきたので山手に移動。山手公園に車を置いて、元街小学校を訪ね、山手通りに出て「山手ロシュ」でランチ。ここは昔良く来たお店で、私の友人が結婚披露宴をしたところでもありますここからまた山手通りをカソリック教会へと戻り、その横の脇道を入って山手公園へ。この脇道が私の通学路です。入って直ぐに大きな木が残っていました。
今は名木古木に指定されて「タブノキ」と書いてありました。山手公園にも古木名木に指定されたヒマラヤスギが。元街小学校にもヒマ
ラヤスギ(樹齢130年)、コルクガシ(130年)、カキノキ(150年)と3本もあるのですが見ることはできませんでした。今は安全対策ためのガードが堅く、気軽に学校に入れないですね。昔は町の人が抜け道のように小学校を通り抜けたものですが。懐かしい長い長い滑り台は残っていましたが、重々しかった校舎はもうずいぶん前に建て替えられ、鬱蒼
とした校庭は明るくなり、残念ながら趣は薄れた感じです。
でも建物が変わっても、こうして通学路の古い樹木が名木古木として残され、山手公園やテニスコートがそれぞれ日本初の洋式公園発祥の地、テニス発祥の地として昔の面影のまま残されているのは嬉しいです。ふっとそこに昔の自分が見えるような気がします。
山手公園 テニスコート
Oct 25, 2011
“どーも どーも” その日が来るまで
震災で延期なった小田和正コンサート「KAZUMASA ODA TOUR 2011“どーも” その日が来るまで」の日がやっとやっとやって来ました。
仕事の後、11時に小淵沢出発、3時に新横浜のホテルに到着しました。その間はずっと「どーもどーも」のCDを聞きながら。アリーナから5分ホテルなのでとりあえずブラブラ行ってみると、5時30分開場なのにもう長い列ができています。なんなのか聞いて見るとS席のチケットを持っている人はここに並んで申し込むと抽選でオンステージ席に行けるそうです。でもどんな席か聞くと、舞台裏で小田さんの背中を見るような席と言われ申し込まずにホテルに戻りました。でもコンサートが始まって分かったのですが、舞台裏ではなく舞台上(そうよね、オンステージだものね)の演奏者の直ぐ後で聴ける席でした。最後尾のプラカード持っているお兄さん、もう少し上手い説明してね。主人はそれを見て音響的に良くはないから嫌だと言っていましたが、そこは小田さんが目の前に来てくれるし、本当に間近なので私は応募する価値あったかなと思うのですが。
さて少し休んで早めにホテルを出て、近くのイタリアンでゆっくり早めの夕食を済ませ会場に。もう溢れんばかりの人でした。私は若いときから憧れの芸能人を追っかけるとかしたこと無いので、この様なコンサートは初めて。でも見渡せばみんな私たちぐらいの人が多く少しホットし、わが家のように2世代、3世代の家族もいます。小田さんのファン層が厚いのですね。
単独アーティストとしては国内外問わず最年長のドームツアーとなっており、延期なった今回は長野に始まり横浜で終わりです。私たちは長野でもよかたのですが、やはり地元横浜が盛り上がるだろうと横浜アリーナにしました。勿論大正解。他は見ていないので比較はできないのですが、、私が大好きな「MY Hometown」は横浜でしか歌わないそうなので、それを聞くために横浜へ来る人もいるとか。今日も30曲は歌ったと思うのですが、アンコールでも、更に延長戦でもそれが出てこなかったのですが、最後の最後にはやはり「MY Hometown」で大盛り上がりです。涙がでてしまいました。チケットが手にはいると分かった2月からずっとずっと3人で楽しみにしていた一大イベントが終わってしまい、なんだかみんな体の力が抜けてしまいました。今までのどんな海外旅行よりも何よりも、一番みんなで楽しみにしていたような気がします。コンサートの様子は波留美談話室にのせてあります。
「MY Hometown」
ここで夢を見てた。
この道を通った。
出来たばかりの根岸線で君に出会った。
まだ人の少ない朝の駅のホームで待ち合わせた短い時,次の電車が来るまで。
マイホームタウン マイホームタウン
海に囲まれてここで生まれた。
僕らの好きだったあの店ももうない。
あの頃の横浜は遠く面影残すだけ。
マイホームタウン マイホームタウン
どんなに変わってもぼくの生まれた街。
どんなに変わっていても・・・。
あの頃ここはぼくらの特別な場所だった。
今でもここに来れば丘の上ぼくらがそこにいる。
マイホームタウン マイホームタウン
海に囲まれてここで生まれた。
あの頃僕らはこの場所で,う〜う,夢を見てた。
どんなに離れていてもまたいつか来るから。
Oct 25, 2011
フワフワオムレツ その2
フワフワオムレツ第2弾です。今日は共だてで白身と黄身を一緒に泡立てます。良く泡が立つように卵は室温に戻してきました。
今日はオムレツにベーコンとキノコをソティしたものを入れてみます。
焼き方は前回と同じホットケーキのように熱したフライパンを一度濡れ布巾に降ろして、火に戻してバターを溶かして卵を流し入れる。蓋をしてとろ火で少しずつフライパンの位置をずらしながら均一に焼く。
膨らみも良く、きめは別立てより細かく出来上がりました。でもちょっと焼きすぎで、もう少し早く火から下ろせば良かったかも。
共だてはきめが細かいだけに、少し重たくなり、甘くない軽い伊達巻きのような感触。私は淡々感のある別立てが好きです。共だての立て方が足りなかったのか、焼きすぎのためか、もう一度トライします。
Oct 25, 2011
フワフワオムレツ
昨夜テレビを見ていたら、モンサンミッシェルの「フプラールおばさんのオムレツ」が紹介されていました。私はNORIKOさんのブログでも見たことがあります。こちら
たまごならどんな料理法でも目がない主人なので「あれ食べてみたいナー」とヨダレを垂らしています。「そうね、じゃあモンサンミッシェルに行きましょう」とは言えないわが家ですから、早速今朝作ってあげました。自己流ですが結構美味しくできました。たまご3個で主人の小さな夢は叶ったかな?
今日は初めてなので失敗しないように別立てで作ったのですが、ちょっときめが粗いです。本場のはきっと共だてでしょう。火は本場は薪ですが、わが家はガス。なのでフライパンを良く熱し、一度濡れ布巾で温度を下げ、再びひにかけバターを溶かして種を流し、中の弱火でフライパンの位置を少しずつずらしながら焦げ付かないように焼きました。種は黄身に生クリームと塩、隠し味の砂糖を入れいつものスクランブルの味付け同様にし、今日はプレーンでチーズも入れませんでしたが美味しかったです。
う〜〜、でもやっぱり本場を見てこなくちゃダメかな?
Oct 23, 2011
ずいずいずっころばしごまみそずい
七賢や金精軒のある台ヶ原宿はお茶壺道中が通った道でした。毎年4月に江戸を出発して京都の宇治にお茶を取りに行き、帰路は奈良井宿と下諏訪に逗留し、台が原田中神社の拝殿に1泊して谷村勝山城で夏の暑さを避けて収蔵し、秋に江戸城に搬入したそうです。今日はその田中神社で一服のお茶をいただきました。
網に入っている茶壺はまだ未開封 飾り紐となった壺は中にははもう入っていませんの印
そのお茶壺道中の説明の中に庶民にとっては「ずいずいずっころばしごまみそずい」の中ににある「茶壺に追われてどっぴんしゃん・・・・」のように迷惑な行列だったとあります。
この童歌は誰に習うこともなく覚え、掌を丸めて遊んだものです。そしてそれは私から娘に伝わっています。でも改めてその意味を考えるとなんのことやら分かりません。
wikipediaによれば「胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。
ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。」ということらしいです。
勿論知っていた方が多いと思いますが、私は今まで変な歌とは思いながら、詳しく考えたこともありませんでした。こうして意味を知らないで歌っていること、やっていることはいっぱいあるのでしょうね。いくつになっても、新しい扉が開かれるって嬉しいです。やっぱり長生きして、まだまだ沢山の扉を開かなくちゃ!
Oct 23, 2011
台ヶ原市
金曜日か今日まで開催されている台が原市に行ってきました。年々規模が大きくなり、骨董市と言うよりクラフト市になっています。ここには20号線の旧道で、今でも山梨銘釀七賢や和菓子の老舗金精軒が軒を連ねる台が原街道です。
娘と3人でそぞろ歩いていると、今まで気づかなかった田中神社があり、そこでもお店やお茶席があるようです。早速お茶席で美味しいお菓子とお抹茶をいただきました。無料でした。次にそこをでて街道沿いを歩くと「茜窯」さんを発見。茜窯さんは陶器としては明るい色合いの作品を最近多く作っているように思います。今日は主人と私の夫婦ごはん茶碗を買いました。そして次はママ友出店している染め物コーナーへ。草木染めのスカーフなどが綺麗にディスプレイ。淡い淡いグリーンのスカーフを買いました。
作品を見て選ぶのに夢中でお店の写真はすっかりと忘れてしまいました。
いい匂いの食べ物屋台も多く、お昼は栗ごはんと焼き鳥を買い、飲食自由のジャスコンサート会場でいただきました。コンサート会場はダンボールのテーブルと、酒ケースの椅子の並んだ倉庫のような所です。でも素敵なジャスを聞くことが出来ました。
わが家のお米を買っている農家に農業ボランティアに行ってきました。前回はペンション仲間でしたが、今回は諏訪中央病院のグリーンボランティア仲間と一緒に行きました。皆さん行く前から働く気満々。この家の親戚であるp・たん歩゚歩゚のりぃさんも昨日から行って、たいそう働いているようです。(メールが来る)私、働けるかなー?
6時に家を出発。Kさん宅からKさんの車に乗って、途中で他の人と合流しながら6人で一路津南に向かい、到着は10時少し前。炊き込みごはんとお茶をいただいて早速作業に。今日はお天気が気まぐれで、降ったり止んだりです。長靴に雨具の出で立ちで軽トラで茄子畑に向かいます。
さてここでは片付ける前に大小なっている実を全部収穫します。家庭菜園ではありませんから、延々と続く畝が何列も。それでも7人で作業すれば結構早くできるものです。雨も激しくなって来たので一旦家に戻り、今度は柿の皮むきと吊す作業です。こうが良いあーが良いと言いながら作業を。窓辺に吊し終わる頃にはお昼ごはんの良い匂い。
大盛りのうどんは食べても食べても減らず、むしろ増えていくよう。畑にある野菜が色々形を変えてテーブルいっぱいに並んでいます。こちらだけでもお腹がいっぱいになってしまうのです。
午後からはまた茄子畑に戻って、ロープを外し、支柱を抜き、木のように大きくなった茄子を倒し、それを軽トラックで男性が捨てに行きます。荷台で茄子の木を踏んで積むのですが、それでも軽トラ3杯か4杯にもなりました。
次はアスパラ畑の片付けをしましたが、雨もひどくなってきたの今日の作業は終わりです。今日の作業目標は柿の皮むきと茄子の片付けだそうで、一応1日目の目標は達成です。
雨と泥で汚れた雨具を地下室で脱いで、温泉券をいただいて竜神の湯へ。ゆっくりと暖まって戻ってくると、 ふやかした餅米と解凍した竹の葉が用意されており、ちまき作りです。これは是非教えて欲しいと頼んでおいたので、お婆ちゃんが用意してくれたのです。早速台所にビニールシートを敷いて、チマキ講座です。竹の葉を一枚一枚良く拭いて、これを2枚使って三角に包みます。それを菅(スゲ)の紐で結びます。初めはなかなか上手くいかなのですが、コツを覚えると楽しくなります。それにしても田舎の人はなんでも大盤振る舞い。出されるお料理もそう ですが、ちまきも10個ぐらい作れば覚えられるかなと思ったのですが、用意されたのは150個分のお米と竹の葉っぱ。竹の葉も菅も山から採ってきて、使えるように保存しておくのも大変なのに、こんなに私たちが使ってしまって良いのでしょうか。包んでも包んでもお米が減りません。後ではもうお夕食の良い匂いが。折角温かいお夕飯ができたので、少し残してお座敷に行きご馳走になりました。その間におばちゃんが残りを包んでくれたようです。
みんなが楽しみにしていたお夕飯も、地元で採れた食材が、美味しく調理されて並んでいます。そして新潟の美味しお酒も並んでします。みんな呑める人ばかりで良いナー。今日の作業を無事終えて乾杯!!涌井家の皆さんは直ぐに名前を覚えて、気さくに話しかけてくれるので、今日初めて来た仲間達もすっかりとうち解け、陽気に食べて飲んで楽しそうです。良かった、良かった。
お食事の後のデザートはさっき作ったちまきです。熱湯で20分茹でた熱々にきな粉をまぶしていただきます。別腹、別腹。
宴会がお開きの後は12時まで寝室で修学旅行のようにおしゃべり。明日は6時起きです。