Feb 27, 2010
上海 摩天楼
今日は傘の心配はなさそうですが、どんより霧がかかっています。
今日は上海市内観光ですが、まずは上海ヒルズへ。そういえば私も主人も六本木ヒルズすら行ったことがありませんでした。
バスを降りてよどんだ空を見上げれば、グランド・ハイアット上海ホテル(ジンマオタワーの53階から87階に位置します。)も、上海ヒルズも途中から霧の中です。
上海ヒルズの正式名は『上海環球金融中心』です。文字のごとく世界最高水準の国際金融センター機能を中心に、世界一の高さとなる展望台、商業施設、高級ホテルなどが入っているビルで、この建築の設計・監修には森ビルグループが力を注ぎ込んだものです。エレベーターは高速ですが、耳が痛くなることもなく435mに到着しました。でも折角登ったのですが、視界は0。真っ白な世界があるだけです。そんなこともおおいのでしょうか、ちゃんと合成写真が出来るコーナーがあり、ポーズをとってカメラに収まると、後は好きな背景で写真が出来上がります。確か100元でしたから1500円です。
はーい何も見えませーーん
ヒルズの周りでは、古い建物を壊し、まだまだビルやマンションが増えるようです。
この後豫園に行き(このブログはまた後で)、ランチの後は『上海博物館』にいきました。上海や蘇州では撮影禁止もほとんどなく、世界遺産であっても「ここを触ると○○に良いです」とかが多く、添乗員さんが触ることを勧めてくれます。『上海博物館』では陶磁器や青銅の展示物が私の関心の的。でも外に出て街を歩きたいのと間で、やはり旅はもっとゆっくりとしたいものです。(泣く)
外に出てみると上海に来て初めて陽が差していて、博物館前の花壇が輝いて見えました。そこを渡って上海の銀座と言われる通りまでお散歩しようとしたのですが、カメラのシャッターを頼まれ、ついでにこちらもシャッターを押して貰った中国の2人連れの若者と話し込んで時間がなくなりました。と言うと凄くスムーズに話したと思われますが、お互い半分も通じていない状態だから、一つの話も時間がかかったのです。(笑)
でも旅に出たら、その国の人との交流も大切です。ツアーだとなかなかそんな時間がないので、貴重な交流でした。とても感じの良いカップルで、もし私たちがフリーの旅であったなら、今夜豫園で行われるランタンカーニバルにでも案内してくれそうな雰囲気でした。
さて集合時間まで美術館前の公園をお散歩します。どちらを見てもビル、ビル、ビルです。
この後今回の旅行最後のお食事です。とても店構えもオシャレで、中にはいると素晴らしいお料理が陳列してあります。このお料理をとったり、運んだりしていませんので、これは中国のお節料理で、それを見せているのかも知れません。でもそれを見ただけで、今夜のお食事に期待がふくらみます。
上海蟹は日本で食べるものより身がねっとりとして美味しかったです。お料理は大きな円卓に並
ばないほど出て、ついには重ねて2段に。
上海蟹も1人1杯ずつついて、出てくるお料理もこの旅行で一番洗練されたものでした。ツアーのお仲間もみんな美味しい、こんな美味しいお料理が出るとは思わなかったと言っていました。
一体このお値段で、毎食フルコースで飛行機代、ホテル代、観光代とどう分けるのでしょう???
上海の夜
蘇州から上海に戻り、レストランで四川料理をいただき、上海ナイトクルーズへ。宝石のようにきらめく上海随一の夜景スポット・外灘を堪能するというクルーズですが、今日は少し霧に霞んでいます。
でもまたそれも良い風景です。世界一高いビル・上海ヒルズ「上海環球金融中心(上海ワールド・ファイナンシャル・センター・高さ492m )」は霞んでほとんど見えません。グランド・ハイアット上海の入っているジンマオタワー(高さ420.5m、88階)は霞んでいますがうっすらと途中まで見えます。一番手前の東方明珠電視塔(テレビ塔・467.9m)は2段目までの球形がハッキリと見えますが、高いのでやはり3段目の球形や先端までは見えません。これらの近代的な摩天楼がそびえ立つのは黄浦江(こうほこう)の東に広がる浦東です。
その反対側の浦西は外灘(英語名:Bund(バンド)と言われています。租界時代(租界とは 国家が土地を租借するという意味)の建物が沢山残っています。清朝はアヘン戦争に破れ、上海は南京条約により開港しなければならず、
英国、フランス、
日本などが租界を持ったそうです。それぞれの租界で警察の管轄が違い、その上、中国全土から難民も流れてきて治安の悪い「魔都」・夢のある魅力的な「魔都」と化したようです。今イルミネーションで黄金に輝くレトロな建物はその頃列国が建てた建物の名残の建物だそうです。
風もなく、それほど寒くない夜だったので、ずっと3階のデッキで過ごすことが出来ました。
船着き場の直ぐ近くでも建築ラッシュです。工事中のビルの上で、夜でも火花が散っているところがあります。またある建築現場を見上げると、そこは鉄パイプの足場ではなく、竹をビニール紐で結わいただけの足場が、延々何階までも続きます。これで大丈夫なのだろうかと心配になります。コストは鉄パイプの8分の1だそうです。
イルミネーションの輝くビルの谷間では、出稼ぎの労働者が身の危険も顧みず汗水垂らし、観光客をめがけて「ぜんぶ1000円」と言って財布や時計を売る人達が沢山街をさまよっています。
また今、ある意味で上海は経済的な「魔都」と化しているのかも知れません。
昨夜のお夜食に味をしめ、今夜もルームサービスを頼みました。今夜は牛肉麺とクラブサンド。合わせて64元でした。毎食余るほど出るのに、どうしてこう食欲があるのでしょうか。困ったものです。(笑)
いつも長い旅日記にお付き合いありがとうございます。よろしかったら下の観光船に乗り、上海の夜をお楽しみ下さい。
水の都 蘇州へ
朝はホテルのバイキングです。流石中華粥と肉まんの皮だけの中華パンが蒸したてで美味しい。
今日はバスで移動して蘇州観光です。朝から雨が降っています。行く途中段々激しくなってきます。バスの運転は荒く、大きな穴にも段差にもスピードを落とさないで突っ込んでいきますから、時々身体が大きく浮上します。急ブレーキが掛かり、ガイドさんが「今轢かなかったよね?」とお客さんに聞いています。おーー恐い。
上海の西86キロの所に位置する蘇州は、中国の東海岸で揚子江の下流に当たる平野部です。かってマルコ・ポーロに東洋のベニスと称えられる美しさを、2500年も前から守り続けている古都です。当時は運河の水も清んで綺麗だったのでしょうか。今はアジア特有の川の色になっている運河ですが、その両側に
ひしめく白壁の家々、柳の木、細い路地は霧に霞むとモノトーンの山水画のようで、古の時代へタイムスリップしたような景色です。
水の都 蘇州の写真
蘇州には世界遺産に指定された多くの庭園がありますが、今日は小さな古典園林「藕園(ぐうえん)」に。ここは総督代理の沈秉成が退官後、夫人の厳永華とともに蘇州に移り、隠居する際、
この庭園を買いとったそうです。「藕園(ぐうえん)」には夫婦二人が隠居して、仲むつまじく暮らすという意味合いがあったとか。 こぢんまりとした園内は屋根付きの廊下のようなもので建物と建物が結ばれており、たとえ雨が降っていても濡れることなく建物から建物へ移動できる様になているのは、とても合理的であり、その廊下からは庭園を鑑賞しながら移動できる・・・庭園を含めて一つの大きな屋敷のようです。こんな風に素晴らしい庭園と密着して暮らしていたなんて、なんて素敵な暮らしだったのでしょう。その優雅な暮らしに思いを馳せるひとときでした。さっきバスの中でガイド
さんが「雨が降っていても、傘は2人に1本で良い」と言った理由が分かりました。
藕園の写真
次はこれも世界遺産に指定された寒山寺。中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句
「楓橋夜泊」
によって広く知られている。
『月落烏啼霜滿天,
江楓漁火對愁眠。
姑蘇城外寒山寺,
夜半鐘聲到客船。』
意味は月は西に落ちて闇のなかに鳥の鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。そのとき姑蘇町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。と言うことです。
また、このお寺で除夜の鐘を聞くと10年は長生きできると言われ、大晦日はそれを聞く人で賑わうらしい。私たちは中国の旧正月に聞くことが出来たので、これもまた長生きできそうだけど・・・
昼食はもちろん蘇州料理。蘇州料理と言えば「松鼠桂魚」。桂魚に切り込みを入れ、松鼠(リス)の形にしてから揚げて、甘酢のあんかけで仕上げたもの。カリッと揚げたお魚は甘酢あんかけと良くあって美味しいかったです。
午後は山塘街を自由に歩きます。鶏やアヒル、スズキやうなぎなど中華料理の材料が生きたまま売られており、餅米粉で作ったおだんご屋さんは人気店らしく長蛇の列。中華菓子が綺麗に並べられた屋台では主人が「買って、買って」とねだりますが、娘と私は却下。ツアーの皆さんは買って美味しいといっていました。買って上げれば良かったかなー?
民は食を持って天となす。売っていた食材の写真
路地を抜け、私たちは船に乗って次の場所まで移動します。水路の両側の家々は、各家から水路への階段があり、そこで野菜を洗ったり、洗濯をしたりしています。そこには水郷地帯の人々の生活がそのまま今も続いていました。
蘇州の人々・生活の写真
この後は夕暮れの蘇州を後に、一路上海へと戻りました。車窓からはウェディングドレス屋さんが軒並み見えます。刺繍やシルクで有名な蘇州にはウェディングドレス屋さんが多く、各地から買いに来るそうです。そういえば刺繍研究所で見た刺繍作品は、本当に精巧な芸術品でした。
蘇州は「楓橋夜泊」にあるような旅人に旅愁を感じさせる街であり、ふっと橋に上に佇めば『上海夜曲」のように、恋の切ない思いが湧いてくる雰囲気のあるところだと、行ってみてはじめて知りました。開発の進まないうちに、このあたりの街々をもっとゆっくりと歩いてみたくなりました。
近代的でハイテク技術の詰まった上海ヒルズに登った後は、古き租界時代の名残の「外白渡橋」を渡りました。「外」は外国人、「白」はタダという意味で、その昔は外国人はただで渡れた橋だったようです。補修をしつつ100年経っているそうです。この橋を渡ったところに旧日本租界があったそうですから、この橋は多くの日本人も渡り、当時はガーデンブリッジとも言われていたそうです。ガーデンブリッジと言えば
『上海ブルース』
涙ぐんでる上海の
夢の四馬路(スマロ)の街の灯
リラの花散る今宵は
君を思い出す
何にも言わずに別れたね 君と僕
ガーデンブリッジ 誰と見る青い月
父がディック・ミネファンだったので、良く懐メロで流れていました。
きっと何気なく子供心に聞いていたこんな歌から、私の中に中国と言えば「上海」で、港町と言えば横浜と上海で、いつの頃からか古い横浜に似ているのだろうと思っていました。そして私の中にある上海は霧にけむる中にガス灯が灯り、霧笛が響く中に赤いチャイナ服・・・という古めかしいイメージが子供の頃から作られていたのです。 本当はそんな上海を探したかったのですが、今時そんな姿があるわけもなく・・・時代錯誤も甚だしい話です。(笑)
でも旧日本租界には今も『横浜橋」という名も残っているそうでし、段々その当たりも 近代的に開発がすすでいるようでし、今回はツアーでいけませんでしたが、消えないうちに一度歩いてみたいです。
今回、初めて中国に行くのに、ごく自然に上海を選んだのは、今思えば子供頃から『上海』に親しんでいたことに由来するのかも知れません。