八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : トルコと日本

Mar 22, 2012

トルコと日本

 お昼の番組でトルコ特集をやっていたようですが2回は見逃していました。たまたま昨日は見ていたのですが、東日本大震災の時にトルコはいち早く日本へレスキュー隊を派遣してくれました。その場所は宮城・七ヶ浜町で、番組ディレクターは町長から託された感謝の言葉を、より多くのトルコの人に伝えたいとトルコのテレビ局を回り、あるテレビ局で10分間も時間を取ってもらえました。またレスキュー隊との対談もありましたが、むしろ向こうから昨年のトルコ地震の時のお礼や、その時に亡くなったNPO「難民を助ける会」の職員、宮崎淳さんを称える言葉をいただくことになます。
 昨年の2月末からトルコを旅したのですが、本当にトルコは日本人を温かく迎えてくれます。そして一番びっくりするのは、トルコの人々が老若男女を問わず、日本とトルコとのこれまでの関係を知っている事です。
 それは120年前の1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(トルコ)の軍艦エルトゥール号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件です。この時大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。蓄えも少ない食料や浴衣などの衣類を提供し救援に当たった事が、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられています。
 その95年後の事です。イラン・イラク戦争が始まった1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信しました。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったのです。そのため空港にいた日本人は、パニックに陥ったのです。 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着しました。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立ったのです。タイムリミットの、1時間15分前でした。
 トルコのガイドさんの話では、エルトゥール号の遭難で日本人に助けられた話は、今も教科書に載っていて、だれもがこのことを知っているため、テヘラン空港にいる日本人を救出するのは当たり前の事とトルコ人は皆思ったそうです。でも日本では、どれだけの人がテヘラン空港のことを知っているでしょう。トルコが親日家だと知っている人でも、こんな長い歴史があることを知っているでしょうか。震災の時にいち早く駆けつけてくれたことで、少しこの話が掘り起こされたところが有るかもしれませんが。
恥ずかしながら、私自身も詳しく知ったのはトルコに旅してでした。なので帰ったらしっかりとトルコのたびの楽しさを書いて応援しようと思ったのですが、3月4日に帰ってきて、現地から日本に送り続けていたレポートを、もう少し肉付けして旅行記にまとめるつもりが、すぐに震災あり途中になっています。これを機に最後までまとめようと思います。
まだ途中ですがトルコの旅日記