八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : 風切りの里

Nov 07, 2010

風切りの里

 秋晴れの中、こぶちさわポレポレクラブの秋のイベントが行われました。今回は「風きりの里」が人気だったのか40名という嬉しい悲鳴の上がるイベントとなりました。
 まずは8台の車が迷子にならないように歩きはじめの北甲斐亭まで行きます。無事クリアーして歩き始めます。
 「風きり」とは防風林のことで、「八ヶ岳から吹き降ろしてくる季節風と、冬の厳しい寒さを少しでも防ごうとする先人の智恵だったそうです。今でも立派な赤松の防風林が残されています。ここにはかつて「三社まいり」という風習がありました。雨乞いを「八ヶ岳神社」に、晴天を「日吉神社」に、暴風よけを「風の三郎社」に、それぞれ集落の代表が毎日当番として代参したそうです。今日はこの三社を周り、この周辺にある清里の歴史も見ながら歩きます。
 はじめに直ぐ現れたのは雨乞いの「八ヶ岳権現社」。昔はここから八ヶ岳の権現岳が眺めらたそうですが、今では木が大きくなり見えません。隣には大きな五幹の松が聳えています。
そこからは紅葉した小高い山を左に見ながら水路の脇を歩きます。

             
 右手には長閑な里山風景が広がり、ふり向けば茅葺き屋の向こうに八ヶ岳がくっきりと聳えています。

               
やがて着いたのは舞の舞台のある日吉神社。ここにはその年の豊凶を占う「筒粥の神事」と言う神事もあって、現在まで続いているそうです。

                          この中にある小さな祠が昔からある日吉神社

   急な階段を下って               「筒粥の神事」について                
 ここからは少し車道を歩きます。着いたところはもう廃業している商店と理髪部です。ここはある目的のために多くの軍隊が集まったときに、清里一賑わっていたと言うところです。「総合食料品 松根商店」は今で言うスーパやコンビニの役目をしていたのでしょう。隣の理髪部は清里の父と言われるポールラッシュさんがここのお父さんにしか髪を切らせなかったという床屋さんです。

 この先を細い道へと右に折れると、その先の左に鳥居があり、そこに「風の三郎社」が置か れています。元々ここにあったものではなく、災害で崩れそうになっているものを、有志の方がここへと安置したそうです。ところが現在に至ると、この三社参りの話を聞いてある人が探しても探してもこの「風の三郎社」が見つかりませんでした。それでも執念で何回も何回も探していたある日、丁度行き会ったお年寄りに聞くと「あー知っているよ。俺が移したんだ」と言うことで見つかったそうです。その方はここへ移動した3人の内のお一人で、他のお二人はなくなっていたのですからこのお話、この風の三郎社を忘れないで欲しいという何らかの思いと、探していたか方の執念に近い思いとが惹きつけ合ったとしか思えません。そのお陰で今日こうして私たちも三社を訪ねることができたわけです。ここを探し当てた八ヶ岳ファン、賢治さんファンには、この「風の三郎社」と「風の又三郎」がどこかで繋がっているのではないか、とロマンを書きたてられずにはいられないそうです。
苔むした小さな祠の方が「風の三郎社」です。このロマンに私たちも前から後から、更に横からとじっくりと眺めてしまいました。

 最後のこの神社を出て、畑の道やかやぶき屋根の家の横、木の橋などこれから約1時間の里山歩きが続きます。


 橋を渡って上り坂を登って行きます。最後のポイントは松根油採取跡です。松根商店が何故賑わったか・・・そうなんです、戦争末期に飛行機を飛ばす油もなくなり、松の根っ子から油を採る目的で、大勢の軍隊が入ってきたのです。 この里は風切り=防風林をとても大切にし、この松を切ったら打ち首になるほども大切にしていたのに、その松を倒して一体どれほどの油が採れたのでしょう?60年以上も経っているのに大きな穴がいくつも残っています。
        
 この防風林を抜けるとそこは歩き始めた北甲斐亭です。美味しいお蕎麦と天ぷらを頂いたのですが, 遅いお昼に瞬く間にお腹に収まって、すっかりと写真を撮り忘れました。
 今日のウォークは歴史とロマン溢れるコースでした。三社を探した当てた方、このコースを作った方、このコースを選んだ担当の風路さん、そしてこのイベントに参加して一緒に歩いてくださった方々に感謝してレポートを終わります。次回は2月のスノーシューです。また参加してくださいね。