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昨日は御柱祭の最後の下社・建て御柱。 お客様のチェッ クアウトを終えて、主人はお客様を観光ガイドへ。私はお泊まりのお友だちを御柱にご案内。 遅い出発ですから、もう一〜三の建御柱が始まっており、秋宮の境内は人でいっぱい。入っても人垣で見ることができません。残る最後の「秋宮四」の御柱はまだ鳥居の前。これを少し曳かせてもらったところで曳行もお昼休み。お昼は屋台の佐世保バーガー。本当は木落の時のケバブ屋さんを探したのだけど、見あたらず残念! お昼の間も気合いを入れたり盛り上げるためにラッパ隊や、木遣りなどがあり、御柱ムードが高まります。 1時30分の集合に会わせてまた綱に戻りますが、いよいよ境内に入るので、皆さんしっかりと自分の小綱に繋がって、私たちが曳かせてもらうところはありません。でも親切なお兄さんや女性の方のおかげで、めでたく曳行に参加できました。 今年は悲しい事故もありましたが、参加してみて木落や川越しだけでなく、建て御柱も危険と背中合わせと言うことを実感しました。綱を曳いて鳥居をくぐりますが、狭くなるので2本の綱と綱がくっつきあうほど押し寄せて、人もひしめき合うようになり、足元は階段で、ひとたび転んだら押しつぶされてしまいます。小さなお子さんも前にいるので、押してしまったら大変です。手前の秋宮一の御柱は最大の大きさだけに、慎重に慎重にワイヤーやロープの点検を行った為、予定より3時間も遅れ、2時30分頃まだ横になっている秋宮一の御柱の脇を秋宮四の御柱が曳行されるという珍しい光景となりました。 秋宮一の横を行く秋宮四の曳行に秋宮一の氏子も「ヨイヤーサー」と声援を ですから境内は人人人で凄い状態です。更に四の御柱は裏手まで曳くのでこれまた大変です。最後の細いところは危険なので女性と子どもは綱を放し、男性だけで通します。 秋宮四の御柱が綱を放した女性や子どもの目の前を通っていきます。 御柱が通る間も人と人がひしめき合うように押しくらまんじゅう的状態で待ち、御柱の後、女性も奥へと入っていきますが、ここでももう入れるな、いや入れなければどうしようもない・・・と言う意見が飛び交い混乱。私の所で入れる人と入れない人が別れてしまい、お友だちのご主人は綱を曳いて先に入っているし、私はその後入っているし・・・残された友人は外を回ってどこかに来ているらしいけれどもうバラバラです。でも今は携帯があるから何とか連絡がとれ助かります。 切羽詰まったこの臨場感は参加してみなければ分からないもの。つまずくことなく、無事ついてゆけて私は御柱を立てる穴の真ん前にたどり着いていました。 ここからが建御柱。位置を整えたら、曳いてきた綱を外し、木遣り、挨拶、神事とセレモニーが延々と続きます。周りの人に聞くとこれから2時間はゆうにかかるそうです。 見ている裏手ではワイヤを掛ける人達がその時を待っています。更にワイヤーを掛けて本格的建御柱の始まりです。きっと暗くなるかも知れません。 暗い林の中は段々冷えてきて、雨もポチポチ降ってきました。一緒に来たお友だちも心配です。連絡を取り合ってやっと合流できました。 周りでは秋宮一、秋宮三の御柱がドンドン建ってゆきます。今日は皆さんしっかりと安全ベルトをしているようです。高い木の上で両手を放しておんべを振ったりするのですから大変です。どうかすべて無事終わりますように。 秋宮一の御柱はほぼ垂直になりました。 事故にあった3人の「御幣(おんべ)」を託した秋宮三の御柱も大夫上がってきました。
10日朝になって、秋宮三の曳行(えいこう)長川島泰武さん(72)に、転落した氏子3人の友人たちが「3人の思いを遂げさせたい」と、氏子が柱の上で持つ「御幣(おんべ)」を託した。 川島さんは当初、事故には触れずに建御柱を行おうと考えていたが、友人たちの強い要望を受け、転落した3人分の御幣を立てることにした。 最先端に乗る予定だった氏子は先頭から3人分を空けた位置に。川島さんによると、事故を受け、柱に乗ることを辞退した氏子も6人いたという。 以上YOMIURI ONLINEより抜粋 最上部3人分は「御幣(おんべ)」が立てられています。
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昨日は御柱祭の最後の下社・建て御柱。
お客様のチェッ クアウトを終えて、主人はお客様を観光ガイドへ。私はお泊まりのお友だちを御柱にご案内。
遅い出発ですから、もう一〜三の建御柱が始まっており、秋宮の境内は人でいっぱい。入っても人垣で見ることができません。残る最後の「秋宮四」の御柱はまだ鳥居の前。これを少し曳かせてもらったところで曳行もお昼休み。お昼は屋台の佐世保バーガー。本当は木落の時のケバブ屋さんを探したのだけど、見あたらず残念!
お昼の間も気合いを入れたり盛り上げるためにラッパ隊や、木遣りなどがあり、御柱ムードが高まります。
1時30分の集合に会わせてまた綱に戻りますが、いよいよ境内に入るので、皆さんしっかりと自分の小綱に繋がって、私たちが曳かせてもらうところはありません。でも親切なお兄さんや女性の方のおかげで、めでたく曳行に参加できました。
今年は悲しい事故もありましたが、参加してみて木落や川越しだけでなく、建て御柱も危険と背中合わせと言うことを実感しました。綱を曳いて鳥居をくぐりますが、狭くなるので2本の綱と綱がくっつきあうほど押し寄せて、人もひしめき合うようになり、足元は階段で、ひとたび転んだら押しつぶされてしまいます。小さなお子さんも前にいるので、押してしまったら大変です。手前の秋宮一の御柱は最大の大きさだけに、慎重に慎重にワイヤーやロープの点検を行った為、予定より3時間も遅れ、2時30分頃まだ横になっている秋宮一の御柱の脇を秋宮四の御柱が曳行されるという珍しい光景となりました。
秋宮一の横を行く秋宮四の曳行に秋宮一の氏子も「ヨイヤーサー」と声援を
ですから境内は人人人で凄い状態です。更に四の御柱は裏手まで曳くのでこれまた大変です。最後の細いところは危険なので女性と子どもは綱を放し、男性だけで通します。
秋宮四の御柱が綱を放した女性や子どもの目の前を通っていきます。
御柱が通る間も人と人がひしめき合うように押しくらまんじゅう的状態で待ち、御柱の後、女性も奥へと入っていきますが、ここでももう入れるな、いや入れなければどうしようもない・・・と言う意見が飛び交い混乱。私の所で入れる人と入れない人が別れてしまい、お友だちのご主人は綱を曳いて先に入っているし、私はその後入っているし・・・残された友人は外を回ってどこかに来ているらしいけれどもうバラバラです。でも今は携帯があるから何とか連絡がとれ助かります。
切羽詰まったこの臨場感は参加してみなければ分からないもの。つまずくことなく、無事ついてゆけて私は御柱を立てる穴の真ん前にたどり着いていました。
ここからが建御柱。位置を整えたら、曳いてきた綱を外し、木遣り、挨拶、神事とセレモニーが延々と続きます。周りの人に聞くとこれから2時間はゆうにかかるそうです。
見ている裏手ではワイヤを掛ける人達がその時を待っています。更にワイヤーを掛けて本格的建御柱の始まりです。きっと暗くなるかも知れません。
暗い林の中は段々冷えてきて、雨もポチポチ降ってきました。一緒に来たお友だちも心配です。連絡を取り合ってやっと合流できました。
周りでは秋宮一、秋宮三の御柱がドンドン建ってゆきます。今日は皆さんしっかりと安全ベルトをしているようです。高い木の上で両手を放しておんべを振ったりするのですから大変です。どうかすべて無事終わりますように。
秋宮一の御柱はほぼ垂直になりました。
事故にあった3人の「御幣(おんべ)」を託した秋宮三の御柱も大夫上がってきました。
素晴らしい御柱祭を見て体験して、今日も大満足。これで2010年の主となる御柱祭も終わりですが、地元ではまだまだ色々な行事があり、また小さなお宮にも地域地域で御柱を立てたり、この一年御柱祭は続きます。
山梨県須玉でも御柱祭があるようです。次の時はこちらも見てみたいです。
最後は新鶴で塩羊羹や和菓子を買って、ペンションに戻って今日を振り返ります。