八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : 上社 本宮四の御柱 木落し

Apr 04, 2010

上社 本宮四の御柱 木落し


 今日は上社の木落しです。朝の仕事を終え、いつでもどこでも食べられるお弁当を持って茅野へと向かいます。
初めは子どもが小さかったので、母と子どもを連れて建て御柱を見に行って、人の多さにビックリ。次は下社の木落しを、当時はまだ入れた木落坂の中腹の最前面で見て、その勇しさに驚き、3回目は雪の中の木落川越しを見て、御柱を支え続ける諏訪の人々の結束力、魂に感動してしまいました。お祭り好きではない私(?)ですが、御柱だけは7年に一度、その気迫と感動を直に肌で感じたくて、仕事の合間を縫っては茅野、諏訪へと通います。今日道を聞かれたご老人は、50年前に玉川と富士見でお仕事をしていらして、50年ぶりに所沢から見にいらしたそうです。50年前に初めて綱を持って曳行したときは、綱から何もいえないエネルギーが身体に伝わってきたそうです。私も何となくそれが分かります。
 さて茅野に着くと、丁度前宮三の木落しが終わったところで、木落し坂から出てくる人で溢れていますし、御柱も出てきてなかなか前に進めません。でもここでへこたれていたら木落しを見ることはできません。やっとの思いでいつも見る場所にたどり着きました。終わったばかりなので、以外やそこはがらがらでいくらでもポジションを選べます。勿 論無料の場所です。木落し坂は真ん前です。蓼科山が入るように少し右寄りに場所を取り、今の内にとお弁当を食べました。でも食べているうちにはもう木落し坂の上に、本宮四の旗が到着し、綱が坂に下ろされました。11時24分です。
やがて11時50分頃には曳行してきた氏子さん達が坂の上に現れ、綱を持て木落し坂を下り始めますが、急斜面では転がったり尻餅ついたりしています。12時15分頃やっとメドデコが坂の上に見えて来ました。

やがて御柱が落ちるか落ちないかのギリギリまで来ると、追いかけ綱は追いかけ綱固定柱に固定され、御柱が落ちないようにしておきます。坂の上の旗が赤い内は追いかけ綱を切りませんので、安全という印でしょう。木落し坂では木遣りやラッパ隊、お囃子隊などが並んで賑やかに木落しを盛り上げます。段々盛り上がり、金銀のテープが宙を舞い、花火があげられみんなの気持ちが最高潮に達するといよいよです。この様に高揚感を高めることが、木落しの恐怖感を弱めるのかも知れませんね。今年は盛り土がされ木落し坂は斜面の長さは17メートルから32メートルへと二倍近くに伸びたし、角度も以前より急に感じます。ここを初めて下るのですからやはり恐怖心はあるでしょう。いやかえって血が騒ぐのでしょうか。

御柱が着いてからずっとあげられていた赤旗が白旗に変わったら木落しOKサインです。

木遣り隊やラッパ隊が坂を空け、左右の綱の間が開けられ、「本宮四」と書かれた花火に火が付けられました。御柱をつないである後綱が斧で切り落とされる(上社もそうだと思うのですが見ていないので)と御柱が煙の中を落ちてきます。

段々左に傾き、御柱左のメドデコは地に着き、右のメドデコは垂直になってしまいました。



こんな時に御柱やメドデコの下敷きになったり、綱に絡まったりで怪我人が出ます。垂直のメドデコの上では落ちまいとメドデコ衆がしがみついています。あんな所から落ちたらこちらも大変です。見ている家族の方々は怪我のないようにとハラハラドキドキでしょう。
やがてゆっくりと体勢を立て直し、メドデコが立ち上がり、勇ましくおんべを振りながら蓼科山をバックに川越しをする宮川へと曳行されていきました。旗が坂の上に見えてから木落しされるまで1時間30分は充分にかかっています。


     
見えているのはメドに乗っている人や、曳航してきた人や、木遣り隊やラッパ隊ですが、横や後で命綱をさばく人、後で追いかけ綱を切る人、後始末をする人と・・・本当に何人の人がかかわってきたのでしょう。
前宮四の木落しと川越しはまた後ほど

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