いわき市巡りの最後はの野口雨情の生家です。生家はやはり津波の被害を受け、今はビニールシートがかけられ修復中でした。隣の資料館と共に今は雨情さんのお孫さんである野口不二子さんが守っていらっしゃいます。不二子さんは生涯学習センターで働いていらしたのですが、震災の日はどうしても行く気になれずここにいたそうです。そして2時46分の大揺れの後、40分後に津波が来るとの情報に、生家にある大事な資料を階段を何度も何度も駆け上がり2階へ運んだそうです。そしてぎりぎりに避難。雨情の生家も流されたとのうわさ話に胸を痛め一夜を過ごしたそうです。でも1階は全て流され、大きな被害を被ったものの家自体は残っていました。わざわざ不二子さんも出ていらして、どうかその駆け上った階段も生家も見てくださいとシートの中まで案内してくださいました。築400年の生家は津波にも足を踏ん張って耐えたのですね。雨情さんがここで生まれ育った「己の家」がここにあるのです。篠藪から聞こえるウグイスの声を聴き、南天の実をついばむヒヨドリを眺め、蝸牛(でゞむし)をうたった「己の家」。貧困時代に屋根の銅板まで売ろうとした銅葺きの門ものこっていました。ここに列ぶ童謡はほとんどがなじみ深い歌。知らずに覚えた歌がこんなにも雨情のもだったとは。あらたな野口雨情と不二子さんとの出会いでした。
己(おれ) の 家
一、その頃己(おれ)が東京から帰つてゆくと
鶏小舎の側に
無花果が紫色に熟してゐた己の家の穀倉には
米と麦が
向ひ合つて重ねてあつた己は背戸の杉山に
懸巣が来て鳴くのが
うれしくて堪らなかつた己が馬に乗つて野にゆくと
頬白は
藪の上に囀つてゐた己は座敷の丸窓を開けて
紅い芙蓉の花を眺めながら
毎日、本を読んで遊んでゐた丁爺が餅を搗(つ)いて持つて来て呉れた
己が飛行機の話をすると
ほんたうとは思はずに帰つて行つた己は巻莨(シガー)を吹かしながら
村の子供等を集めて
庭の植込の中を歩き廻つて遊んだ己は日暮方になると
裏の田圃の中に立つて
バーンスの詩の純朴に微笑んでゐた己は百年も二百年も
斯うして生きてゐたいと思つた二、 篠 藪
蝸牛(でゞむし)よ
黙り腐つた蝸牛よ、渦を巻いてゐる蝸牛よ
何が恋しい
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る夢現(ゆめうつゝ)に
己は暮らした
蝸牛よ
己に悲しいコスモスの
花と花とに雨が降るもう、己の家は最終(をはり)だ
蝸牛よ
田も売らう、畑も売らう
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る