山梨県、八ヶ岳高原、小淵沢のペンションあるびおんの写真で綴るデジカメ日記です。

2006.05.31(水)〜2006.06.04(日)の日記とお客様からのメール

初夏の奈良・京都の旅行記

2006.06.04(日)
 今日は朝からレンタカーを借りて、まだ行ったことのない比叡山に向かいます。市内から比叡山ドライブウエイに入り、九十九折りの道を走ります。やがて直ぐ近くの眼下に琵琶湖が見えてきます。京都と滋賀の県境を走っていることが良く解ります。比叡山はとても遠くに感じていたのですが、こうして車で来てみると、意外に近いところでした。でも有料道路代はひぇーーでしたが。
 比叡山ではまず東塔の根本中堂から行きます。ここには1200年間絶やしたことのない不滅の法灯があるはずです。娘とあれかな?これかな?と言っている内に向こうでお坊様のお話が始まりました。早速そちらで講話を聞くことに。ここでは私たちはご本尊の薬師如来様と同じ高さでお参りできるようになっています。そしてご本尊にお仕えするお坊様達はここより一段下がったところで(確かに下に石畳があります)お仕えするそうです。これは仏も人もひとつであると云う仏教の「仏凡一如(ぶつぼんいちにょ)」の考えを表しているそうです。そして私たちも修行すれば、仏さまになれるということなのだそうです。なるほど! お話の後早速どれが不滅の法灯か教えていただきました。同じ
弁慶のにない堂と呼ばれる常行堂(左)と法華堂を結ぶ渡り廊下の下で(西塔)
様なものがいくつか有って分かりにくいのです。そこに絶えず注がれる菜種油は「松緑神道大和山」の信者さん達が菜の花を育て、絞り一年分を毎年奉納されるというお話も伺いました。次には文殊楼。文殊楼は1642年徳川家光により再建され、知恵の菩薩がまつられています。文殊菩薩は二階に祀られており、急な階段を上ります。降りるときも前向きでは無理です。
 西塔へは車で移動。こちらまで来る人は少ないのか、とても静かで落ち着きます。西塔にある釈迦堂は延暦寺で最古のお堂で、三井寺の本堂を1596年に移築したものだそうです。屋根の曲線がとても綺麗です。
 この後はドライブウエイを滋賀に抜け。琵琶湖大橋を渡ってみました
後に変なおじさんが一緒に写っています。
。でもその辺りには見るところもなく、もう一度大橋を渡り、途中トンネル(と言う名前)を抜けて大原へと向かいました。娘は昨年春に、私たちは秋に来ていますが、きっと苔も綺麗だろうと三千院に入ります。思っていた通り苔がとても綺麗です。額縁庭園で有名な宝泉院の庭も秋とは違う趣です。ここの廊下の天井は伏見城の遺構。慶長5年(1600)、伏見城を死守した鳥居元忠ら一党が石田三成の軍勢と戦って自刃した板の間が張られ、血天井として知られているのですが、今日はその血の跡を詳しく説明がありました。いわれてみると、結構生々し
宝泉院はお抹茶付き拝観
く残っているので驚きます。このような供養の仕方もあるのかと更に驚きです。
 さて、やっぱり私の日記としては食べ物のレポートは付きのもですよね。今日のお昼は駐車場のおじさんに聞いて行ったお蕎麦やさん。バス停の横の呂津茶屋です。「ここは本当にお店で打っているから美味しいよ」といわれました。バス停に隣接した、ただの食堂という感じですが、ニシンそばもざるそばも美味しいかったです。そしてそば御膳(だったかな?)についてきたおかゆの美味しさにビックリ。古代米と蕎麦の実と餅米らしいのですが、しっかりと塩味の効いたもっちりとしたおかゆです。今回は本当に色々なおかゆを頂きました。
ニシンそば 美味しいおかゆとのセットです
 大原名物?アイスキュウリとアイスナス。おつけものを丸ごと串に刺し、冷たくしてあるだけですがこれが美味しい!!三千院に行く時にキュウリ、帰りに茄子を食べてしまいました。



2006.06.03(土)
 長期予報では悪かったお天気ですが、この週末も良いお天気のようです。でもちょっと疲れた私は今日は休養日。主人は娘と出町柳の方へ行き、下賀茂神社を見てきたそうです。緑とせせらぎのある広い境内に感激して帰ってきました。夕方からは3人で河原町へ。本当は昨日2日に平安神宮の薪能を観る予定でした。でも奈良は飛鳥まで行ってしまったので薪能には間に合わず、今回は諦めました。
 
主人の行ってきた下賀茂神社



2006.06.02(金)
 奈良3日目。今日までフリーパス券が使えます。世界遺産パスだから世界遺産を廻ろうと思ったわけではないのですが、結果、奈良の世界遺産のほとんどを廻ってしまいました。残るは唐招提寺と法起寺と入ることのできない春日山原生林だけ。それなら完歩しようと近鉄西の京駅へ向かい唐招提寺を訪ねました。金堂は修復中で見ることが出来ませんでしたが思
伽藍西にある戒壇
いの外広いので驚きました。中学の時薬師寺と一緒に来ているのでしょうか?それすら思い出しません。境内の花菖蒲が咲き始めです。金堂が見ること出来ないためか、こんなに有名なのに訪れる人は少ないようです。6月4日からの御影堂で特別公開される 鑑真和上坐像(国宝)と 68面の障壁画(東山魁夷作)はみものだそうです。私たちは金堂の前で
萱で葺いた民家を「草ノ戸」と言います
映像で見ましたが実際に見てみたかったです。さて今日のお昼は下調べ済みの「草の戸・くさのえ」です。唐招提寺から歩くこと15分くらいでしょうか。駅と反対方向で、帰りには遠回りですが、お店で聞いているとみなさんお料理が出てくると「歩いてきた甲斐があったわね」と言っています。ちょっと時間が遅かったので、平日ですが限定の万葉弁当はもう売り切れ。風流弁当 けんずい 2,625円 を頂きました。古代米がとても美味しく炊かれ、上段には煮物、お造り、和え物等身体に優しいおかずがきっしりと詰まっています。そういえば奈良に来て以来、白米のご飯を食べていません。さて午後は最後の世界遺産・法起寺ですが、法隆寺と同様近鉄ではとても行きにくい位置にあります。それでまたまた予定変更。今日はまた飛鳥に行って前回廻りきれなかった高松塚古墳でも見に行くことにしました。飛鳥までは思っていた以上に時間が掛かり、今回も駅に着いたのは3時過ぎ。急がないと高松塚の壁画館等閉まってしまいます。勿論今は見ることは出来ないのですが、テントに覆われた古墳の前に行くと沢山の報道陣。何事かと聞いてみると、今日は大学の先生方が中に入ってカビの具合など調査しているそうです。その結果をここでインタビューしようと待っているそうです。何も見えないのですが一応テントの周りを回って壁画館へ。複製ですが壁画を見ていると漆喰に描かれた絵がよくも千数百年も残っているものだと感心してしまいます。盗掘などでも大夫荒れてはいたようですが、発見されるまでは気の遠くなる年月保たれていたものが、発見によってハイテク技術による保存法を持ってしてもカビの発生を押さえられないとは皮肉なものを感じます。この日の調査でも新たなカビが見つかったと5日に発表されました。さて私たちは先ほど乗ったタクシーの運転手さんが聖徳太子の橘寺までは15分位で行けるよと言う言葉を信じて歩き始めました。みかん畑を過ぎ、ぶどう畑を過ぎ、平田地区の家並みを歩けど歩けど着きません。人に聞こうにも人が居ません。もう時間的にも閉まってしまう時間です。やっとバイクに乗った女の人に出会い聞いたところまだ15分も先とのこと。諦めて駅に向かうことにしました。今度こそ朝早くから来てゆっくりと飛鳥を歩き回りましょう。駅に向かう道で気づいたのですが、ここ平田地区の家並みの綺麗なこと。この家並みの写真は掲示板でご覧下さい。さてこれで今回の奈良の旅も終わりです。フリーパス券もここまで使えば満足です。今夜は京都です。



2006.06.01(木)
 今日は近鉄奈良駅から吉野駅に向かいます。橿原神宮で吉野行きの電車に乗り換えると景色も田園風景から、山間の景色へと変わってゆきます。吉野ではロープウエイ山の上駅から神社仏閣を3時間ほど掛けて歩く予定でしたが、ちょっとした勘違いから「・・・・本来空のすみかなりけり」と言う場所までタクシーで登ってしまいました。ここは奥千本・金峯神社(きんぷじんじゃ)です。裏手には義経の隠れ塔がありました。バスで上がってきた小学生がこの隠れ堂にクラス毎入り、「吉野なる深山の奥の隠れ塔・・・・」と唱和していました。さて私たちは途中で買った柿の葉すしを3つずつ食べて歩き始めます。途中の神社仏閣を見ないならハイキングコースもあるようですが、今日は神社仏閣がメインなので舗装道路を歩きます。まだ若い緑の葉と鴬の鳴き声、吉野杉を渡ってくる初夏の風と足下飾るシャガの花に誘われるようにただひたすら下ります。人も車もほとんど来ないのが嬉しい限りです。桜の時期にはこの細い道を車や人をかき分けながら歩くのでしょうか?歩きながら解ったのですが、この「大峰奥駈道・おおみねおくかけみち」も世界遺産に指定されています。反対方向へと峰を登ると険しい山道が続き熊野古道へと抜けるらしいのです。




 40分ほど下ると吉野水分(みくまり)神社に到着。神社全体が緑に染まっているような佇まいの山奥の神社ですが、秀吉が水分の神さまに祈願して秀頼をさずかったと言われる神社で、これが縁で豊臣秀頼が再建しています。本居宣長もこの神の霊験によって生をうけた一人だといわれある神社です。この辺りからは家も多くなり、史跡もあちらこちらに出てきます。5分も歩くと最後に訪れる金峯山寺(きんぷせんじ)がはるか彼方に見えてきました。ゴールはまだまだ先のようです。花櫓、竹林院、桜本坊、勝手神社などを見学しながら吉水神社まで来ました。この辺りは食堂が多く、やっとお昼ご飯を頂けそうです。でもどこにも葛料理がありません。葛のことなら葛専門店に聞きましょうと入ったところが八十吉さんでした。でもここ吉野では葛料理はないとのこと。でもくずきりならここで作りたてを頂けると聞き、早速作っていただきました。乾燥した葛切りを茹でたのとは全く違う食感に感動。この後別お店で遅いお昼の柿の葉すしを頂きました。ここは地元の人のどなたもお薦めのお店なのですが、私には少しお魚の塩気が強く感じました。でもこれこそが本来の柿の葉すしなのだと思います。本来何日も持たせる保存食ですからこの位の塩気が必要でしょう。でも私たちが身近で頂く柿の葉すしは作りたてを食べることを前提に作っているので塩気も弱いのかも知れません。さー後は蔵王堂をみてロープウエイで戻ります。今度は桜の時期に来て、吉野に泊まって、如意輪寺など今回見ることの出来なかった所を廻りましょう。今日は思いもかけずに吉野の自然とふれあえて良かった!!



2006.05.31(水)
 今回も夜行バスで6時過ぎに京都駅着。駅で朝食をとりながら今日の計画を練り、
猿沢の池と興福寺五重塔
今回も「近鉄世界遺産フリー切符」3000円でとりあえず奈良駅へ。出勤時間なのにラッシュも無く8時頃近鉄奈良駅へ到着。ここから歩き始めてまずは興福寺へ。もうこの時間から遠足の団体や修学旅行生が居る。興福寺の五重塔は全高50.10メートルで、これは京都・東寺の
元興寺境内
五重塔に次ぎ、わが国第2の高さになるそうです。近づくと見事に立派です。猿沢の池の亀さんと一緒に写真を撮ってみました。次は日本最古の寺・飛鳥寺をルーツとする元興寺(がんこうじ)です。そういえば飛鳥寺は春に訪れています。ここにはその飛鳥寺創建時代の1400年も前の瓦が一部使われています。拝観受付でどこか説明してくれます。今の私たちはお葬式や法事と言えばお寺さんのお世話になるのですが、古代の寺院には葬儀の教典はなく葬儀を行わなかったので、元興寺のように境内にお墓があるのは珍しいそうです。

 興福寺と元興寺の間に目立たないけれど、美味しそうな和菓子屋さんを見つけました。朝が早かったので春日大社に行く前に、少し戻ってここのお店で和菓子を頂くことに。ここから春日大社までは一の鳥居を通って、奈良国立博物館を横切り大仏前のバス停に出ました。奈良市
参道の石灯籠
内は交通量は多いものの、町中が公園のように至る所に緑があふれ、芝の上には奈良名物の鹿が戯れています。こののどかさが奈良に来てしまう魅力なのでしょう。春日荷茶屋(かすがにないちゃや)を横目で見ながら春日大社へ。ここの背後の原生林が世界遺産になってるだけに、参道の木々も立派な古木が多く、その足下には苔むした石灯籠が並んでいます。また本殿の回廊を見ると釣り燈篭がずらり。合わせると数千基にのぼり、これ
本殿の釣り灯籠
らが庶民の寄付によるものがほとんどとか。信仰の厚さが窺えます。「砂ずりの藤」で有名で、神苑にも沢山の藤があるといわれる春日大社だからでしょうか、巫女さんはみんな藤のかんざしを前髪のようにつけています。今度は藤の時期に来てみたいものです。
 さてそろそろお腹もなってきました。行きに横目で見ておいた春日荷茶屋で『大和名物膳』を頂きます。メインの万葉粥は白みそ仕立てで具は季節により変わるようですが、今日はヨモギと竹の子。付け合わせはメニューの写真では柿の葉寿司だったのですが今日は古代米のおにぎり。厚焼き卵やこんにゃくの鉄砲漬けなどが付いて1580円。白みそと感じないほどの薄味なのですが、おかゆにこくがあるのはやはりお味噌のせいでしょうか。
 昼食後は奈良公園を抜けて3月堂、2月堂へ。奈良と言えば鹿、鹿と言えば鹿せんべい。これを持っている人は執拗に付いていくが、持っていない人には見向きもしない。710年春日大社を創建する際に鹿島(茨城県鹿島神宮)から勧請した神が白鹿に乗って春日山に入ったという言い伝えから、神の使いとして大切に保護されてきたそうです。雄の鹿に生えている角ですが、今はまだ袋角と言って柔らかく血が通っています。見るからに柔らかそうです。これが8月頃から骨化して固くなり危険なので、秋口に角切りをします。
 また賑やかな子供達の声が聞こえてきます。小学生や修学旅行生で溢れる二月堂です。舞台作りの本堂の上にも沢山の沢山の子供達。そんな賑わいの中で写真を撮っていると、私たちが主人が二台、私が一台とカメラを提げているからでしょうか、地元の方らしい男性が「こちらにいらっしゃい、普通の人がとらない写真が撮れますよ」と二月堂の裏手へと導いてくれました。そこからは木々の間から二月堂の向こうに大仏殿が見えたり、興福寺の五重塔が見えたりするポイントでした。ご親切ありがとうございました。ここで写真を撮り終えて二月堂に戻ると、さっきの賑やかさは嘘のように消え、ほとんど人の居ない本殿を見ることが出来ました。こんな空白の時間もあるものなのですね。三月堂を見て、四月堂は素通り。みんなに素通りされる四月堂・・・ごめんなさい。大仏殿の前に早くに閉まる正倉院へ行って来ます。ここも修学旅行生が一杯。でも一緒に説明聞いたりして便利なこともあるのです。今の私たちはまだ奈良を訪ねてもゆっくりと宝物展や特別拝観の全てを見る余裕がありませんが、一通り見終わったら、今度は博物館や特別展を廻ってゆっくりと仏像や彫刻、絵画の勉強もしてみたいものです。
 さていよいよ奈良・東大寺の大仏様にうん十年振りにご対面します。中学の修学旅行とはただ賑やかに騒いで楽しかった思い出だけで、青空に金色の鴟尾(しび)を輝かせた大仏殿を前にしても全くここに来たことさえ思い出しません。まだ小さな身体で見た大仏様はさぞ威圧感があっただろうに、それすら鎌倉の大仏様と区別が付かない有様。聖武天皇の国民に「一枝の草、一把の土」の結縁をうったえ、自主的に造営に関わることの呼びかけにより天平17年(745)から始まった造営は天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養が行われ、同時に二月堂建立後のお水取りも始まり、先ほど行った二月堂ではそれから1200年以上一度も欠かすことなくお水取りの法要が執り行われているようです。もともとは旧暦の2月1日から2月14日に執り行われていたので「二修会」とも言われていますが、今は3月1日から3月14日まで行われています。春に私たちは薬師寺でこの二修会に参加することが出来たのですが、一度は東大寺・二月堂のお水取りも見てみたいものです。でも凄い人出だそうです。
 日本一大きな大仏様の正式名はとても難しく毘盧遮那(びるしゃな・ヴァイローチャナ)仏。工事に携わった人の数は延べ260万人余といわれ、鋳造に使われた銅は499t、メッキに使われた金は440kgとか。1.02mの目は毎日毎日途切れることなくここを訪れる人々を1200年もの間見続け、2.54mの耳は人々の声を聞き続けているわけですね。閉館後、静かになった大仏殿でお一人で憂いたり、喜んだり、心痛め慈悲の涙を流したりしていらっしゃるのでしょうか。
 良く歩いた一日です。これからJR奈良駅まで奈良の町を歩き今夜のホテルへと向かいます。今夜のお夕食は月日亭で茶粥膳。

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