薬師寺 花会式(修二会) |
2006.04.04 |
花会式とは薬師寺で3月30日〜4月5日に行われる行事で、1107年堀河天皇の時、皇后の病気全快を祝い献花されてより、毎年造花を献花されるのです。十種の造花がご本尊に供えられるところから「花会式」と呼ばれ、「奈良に春を告げる行事」として親しまれているそうです。金堂には沢山のお花が飾られていたのですが、どれも造花なのでちょっと変な気がしたのですが、これはこの時期だけのものなのですね。 4月4日 そんな行事のことも知らずに薬師寺に行きました。近鉄・西ノ京駅で下車すると直ぐ前が薬師寺です。境内にはいると山伏姿のお坊様が法螺貝を吹きながら行列して境内を歩いていました。聞くところによると花会式(修二会)に参篭(期間中不眠不休で法要を行う)しているお坊様《練行衆(れんぎょうしゅう)》で、これから柴燈大護摩が焚かれるそうです。私たちも参加できるということで、早速お願い事を祈願木に書いて納め、参加することにしました。 練行衆と呼ばれるお坊様方は金堂にお参り。金堂の中の薬師三尊像【国宝】やその周りは造花で飾られています。練行衆の向こうには花会式にふさわしく桜の花が満開を迎えています。 この金堂は400年余り仮金堂のままで、金堂の再建は歴代の薬師寺住職にとって悲願中の悲願で、昭和42年(1967)高田好胤師が晋山し、昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興したそうです。 修学旅行で私が高田好胤師の楽しい法話をお聞きしたの時は、外で三重の塔を見上げながらでした。まだ金堂は仮金堂だった時代ですね。 3月30日から4月5日までの花会式の期間中、4月4日には柴燈大護摩が焚かれます。不動堂の前で3時から始まります。護摩壇はもう用意されており、火が点けられます。先ほど納めた私の「添え護摩木」もここでお炊きあげされます。 護摩壇の火が燃えつきる頃、練行衆により少量の水が撒かれ、丸太で平にならされ火渡りの道が造られます。出来た道を練行衆が渡ります。 いよいよ一般の参加者が火渡り出来るときが来ました。「慌てるほど熱く感じます。ゆっくりと安心して渡ってください」「無心になれば熱くないです」と言われます。どちらも出来る自信はありません。でも折角のこの機会を逃したくはありません。思い切って裸足になります。あっ、ストッキングはいていました。一度はそれで諦めたのですが、やっぱり諦めきれず、主人にナイフを借りてストッキングを足首のところから切り裸足になりました。ドキドキしながら列に続きます。後は無心で渡りました。 この写真を見るとまるで平均台を渡っているようですね。本当なら合掌しながら渡るべきでしょう。でもバランス崩して道を外れたらまだメラメラと燃えているのできっと怖かったのです。渡り終わると白い丸餅が頂けます。渡らなかった主人にも御利益があるよう半分ずつ境内で頂き京都へと向かいました。 夕暮れ時冷えてきたのですが、この後靴を履いて歩き始めると足の裏がポッカポッカとしてきました。昨日今日と歩きすぎて痛かった足の裏が軽くなってきました。 良い経験ができ、清々しい気持ちになれた一日でした。 右の写真は薬師寺「東塔」と「西塔」です。 左の「東塔」は薬師寺で唯一当時より残っている建物で、1300年の歴史をその姿から感じられます。東塔は長い年月の間に色あせたり、何度かの修復の度に色が変えられたりして今日に至っているのです。 右の「西塔」は昭和56年(1981)に復興された塔です。この色の鮮やかさは当時のものを再現したもので、これこそ奈良色、平城京の華やかさを示すものだそうです。 奈良の枕ことば「青丹良し」とは西塔の連子窓に使われている色(緑)を「青」扉や柱に使われている色(朱)を「丹」と呼び、この色が奈良を表すものとして使われたそうです。 こうして奈良京都を歩くとき、大嫌いだった日本史や古典をもっと学んでおくべきだったと後悔します。でもこれを機会に一つずつ勉強し直すのも楽しいかも。 あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり〜♪ |
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