ペンション あるびおん

八ヶ岳 小淵沢の小さな宿に宿泊して、静かな時間と体に優しいお料理をお楽しみください。

TEL.0551-36-4166

 E-Mail.p-albion@p-albion.jp

〒408-0041 山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3332-1157

日系人収容所跡

カナダの旅9 日系人収容所跡を訪ね、小さな町を経由しOsoyoosへ。

川端 雅章さんと行く、カナダグランドツアー6日目 Part1

6月4日(土)ナカプスからカスロ、ネルソン経由オソユーズ 移動距離437km
  1. 07:00 ホテル発、州道6号線を南へ。
  2. 第二次世界大戦中日系人が収容されたNew Denverの町を散策。
    同じく収容所のあったカスロの町を経由してネルソンへ。

  3. ネルソンの街で昼食 
  4. ここからCrowsnest Hwy(州道3号線)を一路西へ。
    Christina Lake、Grand Forks、Greenwoodなどの収容所のあった小さな町を経由しOsoyoosへ。

  5. 18:00 オソユーズの宿に到着。
  6. Osoyoos Oxbows, Road 22で探鳥。

  7. 夕食: 町の中華料理店で夕食
  8. 宿泊: Best Western Sunrise Inn

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昨晩の事から

昨晩の宿はナカプスの町から12kmも山の中に入った温泉のあるNakusp Hot Springs Chalet。道を間違えたのでは無いかと一度は町に戻ったほど山奥です。
でも温泉は快適で、長旅の疲れを癒してくれ、Chaletは3つのベッドルームがあり、この日は1人ずつお部屋を独占。私は奥のバストイレ付きのお部屋を。でも裏は山で、心許ない窓。夜中に熊が割って入って来ないかちょっと心配になりました。
でも心配ではすまない出来事が。お夕食を済ませて、主人が外で星が綺麗だというので川端さんも外に出て、私が最後に出てドアーをバタンと閉めてしまいました。あっ、鍵が・・・

Nakusp Hot Springs Chalet

無事朝を迎えて。

まだ体は温泉で温まっていたものの、外気温は大夫下がっています。それから3人でとことこ歩いてフロントのある所へ。するとガラス越しに、ザックを背負って今まさに帰ろうとしているフロント係さんが見えます。どんどんとたたいて開けて貰い、何とか合い鍵を貰いました。まさかフロントがいなくなるなんて・・・
3人で「良かったね、いなかったら車で寝る事になったね」と話しながらコテージに帰ったのですが、今、日本でその日のこと思うとその車の鍵さえ無かったのでは?
朝、そこを出発してまもなくBlackbareに出逢い、またその直ぐ先でまた別のBlackbareに出逢ったのですから、もし車にも入れなかったら、寒いだけでなく夜中に熊さんとご対面だったかも知れません。日中、車から見る熊さんは怖くないですが、夜、もろにご対面だったら・・・・おーー怖い!!

  • ブラックベアー

    この時ブラックベアーは目の前で、ウンチをしました。それだけ私たちの前でもリラックスしていたのでしょうか?

  • Blackbare

    ウンチをしたら草陰に、本当は草陰に入ってからウンチでしょうに。

ニュー デンバーの朝

朝の9時にNew Denverという小さな街に着きました。日系人が強制収容された町の一つです。今でも小さな小さな町で、ファーストフード店も勿論無く、静まり返った朝の町で、一軒の小さなCafeを見つけるのがやっとでした。でも、その小さなCafeがとてもおしゃれで素敵なお店だったので、ここに寄る事に。焼きたてのパンやスコーンの香りが漂っています。朝食は食べて出てきたものの、勿論もう一度頂きます。チーズのパンやスコーンなど好きなものを選んで、表通りが見えるカウンタで。
やがて近所の人たちがパンを買いに来たり、身ぎれいにした年配のご婦人が二人で朝からおしゃべりを楽しみながら朝食を食べに来たり・・・ここは町の社交場なのかも知れません。

  • Cafe bar[NURU」

    ハニーサックルが絡んだ可愛い看板
    Cafe bar[NURU」

  • 落ち着いた店内

    落ち着いた店内

  • 庭

    芝とメープルが綺麗な小さなお庭

日系人強制収容所を訪ねて
日系収容所メモリアルセンター

日系収容所メモリアルセンター

太平洋戦争で日本が真珠湾攻撃した事が発端で、日系人が太平洋岸にいては日本海軍が責めてきたときに、日本軍に協力してしまうのではと、西海岸から遠く離れた内陸部の寒村に強制収容された町を訪ねました。最初に訪れたのがここNew Denverです。
「NIKKEI」という言葉はすでに英語となっており、ここにはメモリアルセンターがあり、当時の生活の一部をかいま見る事が出来たり、多くの写真から、当時を知る事ができます。両手に持てるだけのものだけをもつ事だけを許され、家や漁船、車などはすべて置いたまま列車に乗せられ、カナダ国籍を持つ人も含め約1万2千人がこうした僻地へ収容されたのです。やがて置いてきた財産は二束三文で売却され、収容所の維持に当てられてしまい、後に開放されるも、身一つになってしまった日系カナダ人は、また更に過酷な人生を送る事になるのです。私は数年前に松坂慶子さん主演のドラマで見ていたので、とても興味があり、ガイドの川端さんが今回の旅のコースに入れて下さった事を感謝しています。
多分、この地まで訪れる人は少なく、ましてやこのセンターを目的にいく人も少ないと思うのですが、素敵な女性が受付にいて、とても歓迎を受け、当時の事など詳しい説明を受ける事が出来ました。(通訳としてガイドさんがいたからですが)強制収容した側でありながら、時に目に涙を浮かべ、NIKKEIの人たちの過酷な生活や様子を、日本人である私たちにきちっと説明する姿に胸が熱くなりました。そして負の遺産を国定歴史記念物として保存しているカナダ政府の勇気にも感動しました。
今、家族がカナダで生活を送っていますが、「ここへ来て、日本人だからと嫌な思いをした事がない」といっていた言葉がふっと蘇りました。差別、迫害、戦争・・・いろいろな事を経て、今はいい関係でいられる事に喜びを感じた1日でした。

  • 底の円いバケツ

    井戸の近くに置かれた底の円いバケツ。防火用以外に利用しないよう底が円く安定しないようになっている。

  • 日系収容所メモリアルセンター

    センターでは詳しい説明を聞く事が出来ました。

  • これから行く道をアドバイスしてくれています

  • 記念写真を

  • 日常生活品の中に日本人を感じます。

  • サナトリウムの写真

  • 床屋さんの椅子

  • 守りあるパークの中の再現した民家

  • 町中にも当時からのような家が残っている

この後、収容所のあったサンドン(ヒマラヤ杉に降る雪の撮影場所でもある)カスロ、ポポフ、グリーンウッド、など走り抜けましたが、何処も美しい湖の畔だったり、風光明媚な場所でリゾート地になっていますが、今だ小さな小さな町で、この日は6月初旬でありながら、真夏のように暑い日でした。内陸部のこれらの地は夏暑く、冬は寒く過酷の地なのでしょう。

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